王宮の逃走劇

たくさんの給仕に囲まれた二人っきりの昼食を食べ私は与えられた客室とは思えない程豪華絢爛な家具が満載の自室へと戻りソファへと横になる、昨日は隙あらば逃走しようとしたが王族の男は何故か私の動きが手に取るように分かるらしくそれは叶わなかった、昼彼は執務をしなければならないようで部屋に閉じこもった隙を突いて窓枠に足を掛けた途端『止まれ』と頭に声が響き逃走を阻止される、時間を置いて夕方、彼が湯浴みをしている時に今度は城の裏口から広大な面積を誇る庭に出る事は成功したが城門まで近づいたそのすぐ後で『部屋に戻れ』、私は否が応でも彼の命には従わざるを得ないのでそのまますごすごと自室に戻る事になる、執事やメイドには見られないように行動したにも関わらずこの様だ、けれど何かからくりがあるに違いない、もしかして部屋や城全体に彼に私が逃走した事を知らせる魔術か何かがかかっているのかもしれないと神経を集中させ魔力の痕跡を探してみるがその様なものは一切感知出来なかった、こうなれば本人に直接聞いてみる他ないがそうやすやすと自分の手の内をあの男が明かすとは思えない、完全に手詰まりだ、男が私の行動を察知する仕組みが分からない限り私の逃走は成功しないだろう、けれど私はこんな所で王族の道楽に付き合っている暇はない、彼が私の逃走を見逃すという僅かな可能性に賭けなければならない程事態は切迫しているのだ、深夜の逃走は使い古された手の様な気がして私はその晩事を起こす事は無かったがその代わり早朝まだ時計の短針が四の時にそっとベッドから起き出しまだ人の少ない城内を足音を立てないよう歩き庭へと出る、ここまでの間にあの男の声が頭の中に響く事が無い事にほ、と一息つく、流石にこの時間帯だと相手もまだベッドの上だろう城の裏門から今度は出てみようと裏庭に足を踏み入れた途端

「こんな早くから朝の散歩か?」

裏庭の一角、5メートル程の大きな鳥かごのような形をしたアーチに薔薇が絡まり丁度良い日陰になったその下でティーテーブルの上に色取り取りの菓子を乗せた三段ティースタンドや美しい装飾のシュガーポットなどの本格的なティーセットをずらりと並べ香り立つ紅茶を優雅に足を組み飲んでいる事の元凶に呼び止められる

「貴方こそこんな朝早くから一人寂しくお茶会ですか?」
「お前がここに来る気がしてな、寝惚け顔で会うのも忍びないからアーリーモーニングティーで目を覚ましていた所だ」

私の行動を見越した上での彼の行動に内心動揺していたがこの男の前でそれを出すのは癪だ、至って平然と受け答えれば相手からは慇懃無礼な答えが返ってくる、何が目を覚ましていた所だ、スカーフにブローチまで付け軽装だがきっちりと着こなされた衣服から見てとれるように起き抜けではないのは明らかだ、表情もそれとは程遠く二つの緑の瞳は油断なく光っている、眠りが浅い性質なのだろうか、昨日は隣室である彼の部屋から深夜遅くまで時折物音がしていたというのに、考えた所で事実は分からない、だがこの逃走も失敗に終わった事だけは分かる、私は嘆息して、自室にでも戻ろうと踵を返した

「飲んでいけよキク、折角ここまで来たんだ何もせず帰るのは味気ないだろう?」

碌に会話もせず部屋に戻ろうとする私が尻尾を下げとぼとぼと歩く負け犬にでも見えたのだろうかくつり、と喉奥で笑って挑発するように彼はカップを掲げた、皮肉屋で性悪な男だ、どうせあの男は私が同席する事が無いと見た上で発言したのだろう、用意されている椅子もカップも彼の物しか存在しない、だがここで引いては私も男が廃る、それに彼の意のままにこれ以上なるのはもういい加減うんざりだ

「折角のお誘いですから断る訳にもいきませんね、こんな私で宜しければ是非ご一緒させて下さいな、ですが椅子もカップも無いようですね、誘った相手を碌にもて成す事も貴方には出来ないのですか?」

そう言うと彼は僅かに目を見開いた後上等だ、とでも言うように笑みを深くする

「それは失礼した」

パチンと指を弾くと緑色の粒子が浮かび上がりそのすぐ後に椅子とカップが一瞬でそこに現れる、彼は立ち上がり私用の椅子を手ずから引いた

「喜べ、これ以上無い位もて成してやるよ・・・嫌という程な」

言葉通り私は彼から嫌という程もてなされる事になる、ガラス細工に触れるようなそっとした手付き、恭しい態度、甲斐甲斐しく世話を焼かれて、どこの深窓の令嬢かという扱いを受けた私はどっと気疲れしただけのティータイムだったが彼の淹れた紅茶だけは美味しかったかもしれない





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頬を撫でる風を感じて私は目を覚ます、昼食後ソファに横になってそのまま眠ってしまっていたらしい、何て怠惰な、前までの私なら考えられない事だ、またふわり、と私の体を風が撫でて行く開け放たれた窓から入ってくるそれは陽射しに反して冷気を帯びているかのようにひんやりとしていた、窓の外には相変わらずの城下街が見える、つい先日までそこに居たのが幻のようだ、いやそれをいうなら今の状況が幻のようなのだ、王宮で生活だなんて夢にも思わなかった、それにしても静かだ、あの男はまた執務でもしているのだろう昨日はこの隙を突いて窓から逃げようとして結局失敗した、今日はどうだろう、失敗するのは目に見えているのにどうしても同じ行動をしてしまう、体を動かさずにはいられない、少しでも何か行動しないと本当にあの男の意のままになってしまう気がして嫌だ、私が窓に足を掛けると待ち構えていたかのように響く『止まれ』今日はその後ろにお前も懲りない奴だな、と付け加えられているのが腹立たしい、そして私の体は石像のように固まり自分で動く事は出来な―――、動ける、どういう事だ?確かに私は彼に止まれと言われた筈なのに足は自分の意思で動かす事が出来る、少し体が麻痺したように若干動きが鈍くなるが脱走するには十分過ぎる程だ、私は意を決して足に力を込め宙へと飛躍した、理由は分からないが彼の命を受けてもある程度体が自分の思い通りに動かせる事が分かっただけでも大きな進歩だ、私は地面へと落下する直前札を投げ大きな犬の姿をした式神を召喚すると彼は私の意を的確に読み取り私を背中で受け止めて地面へとひらりと着地する、そのまま風の様な速さで城門まで進むと私は彼の背中から降りた、このまま街中をこの子で駆けまわると悪目立ちが過ぎると考えたからだ木を隠すには森という言葉があるように人を隠すなら人混みだろう、城下街は人で溢れかえって居る身を潜ませながらこの街を抜けるのが一番良い方法の筈だ、兼ねてから考えていたにも関わらず実行する機会がなかなか巡ってこなかったが今がその時だ、千載一遇かもしれない機会を逃す訳にはいかない

「ありがとうございました、ぽちくん」

巨大な犬の式神もといぽちくんを札に戻し私は城下街へと駆けだした





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妖精達の報告でキクが窓から飛び降りた事を知った俺は書類を投げ出し窓辺へ駆け寄る、キクは巨大な犬の魔獣を召喚し地面との激突を避けると城門までその背に乗ると魔獣を何か紙のようなものに入れ城下街へと駆けだして行ったその際にキクにはずっと『止まれ』と命を出し続けていたがどうやら効果は期待出来ないようだ

「一体どうなってやがる」

俺が施した刻印は注ぎ込んだ魔力に比例して対象者の身に刻まれる時間が長くなる、俺はあの時かなりの魔力を注ぎ込んだ為向こう一年はそれが消える事がない筈だった、刻印が消えると契約者の「命」の効力は消えてしまい、長距離契約者から離れていても生活が可能になる、キクは今どちらの束縛も受けていないようだったそれは俺の言葉を無視し続けている事からも、城下街に足を踏み入れても平気だった事から容易に推測できる、本来なら城下街に足を踏み入れた時点で長距離契約者と離れられないという刻印の効果が発動し印が刻まれた肩に気を失う程の激痛が生じる筈だった、けれどあの時のキクの様子からでは恐らく痛みなど無きに等しいものなのだろう、となれば考えられるのは刻印が消えているもしくは消えかけて効力が薄れていると考えるのが妥当だろう、全く、王宮で飼いならしてやろうと考えていたのに予想外の事ばかりで楽しませてくれる、あいつの逃走を妖精たちの力を借り防いで回った昨日今日と俺が退屈を感じた事は一度もない、逃走を妨害した時に一瞬見せるあの悔しそうな顔を思いだすと今でも背筋がたまらなく甘く疼いた、逃げてばかりのあいつをもう逃げる気が起きないように完膚無きまでに叩きのめし俺に服従させ俺無しでは居られないようにしてやりたい、が、今はこの予定調和の逃走劇を楽しもうと考え実行しないでおいたのがどうやら間違いだったらしい、今までは飴ばかり与えていたがこれからは鞭を与える時間だ

「さあ鬼ごっこと洒落込もうか、キク?」

緑の瞳はさながら獲物を捕らえる時の肉食獣のように獰猛に光っていた











あとがき
(アーサーが菊の様子が手に取るように分かったのは菊には見えない妖精さん達に菊を監視させて何かあれば自分に逐一報告するように言っていたからです)