心臓が鼓動するのに合わせて肩の刻印がずきり、と痛む、痛さは城から離れていくごとに酷くなり今では歩くのさえ辛い、服をずらし刻印を見てみれば先日よりも大分色が薄まっていた、理由は相変わらず分からないがもしこれが薄れていなければ一体どれ程の痛みが私を襲ったというのだろう今でさえこんな状態なのにその事を考えるとぞくりとする、長距離契約者と離れられないのはこういう事かと私はその時理解した、恐らく彼から離れてこの痛みが生じるのなら彼の元へと戻ればこの痛みは治まるのだろう、どんな治癒魔法を施しても一向に引かないそれに悲鳴を上げそうになるのを奥歯を噛みしめ耐えて私はまた一歩もう一歩と歩いて行く、陽射しが強い時期にも関わらずフードを被らなければこの国では珍しい黒髪が隠れない為それを取る事は出来ない、体の熱が篭って頭がくらくらする、水が飲みたい、喉の皮がはりつくように乾いて気持ち悪い、痛みと熱さは容赦なく私の体を苛む、まるで彼が私を逃れさせまいとするかのように
「く、そ・・・」
こんな事をしている場合では無いのに早くしないと私の家族が、故郷に居る育ての親や血は繋がっていないが兄弟の様に育った彼らの事を思い出し私は倒れそうになる体を叱咤するが想いに反して限界が来たのかもう力が入らない、傍にあった壁にもたれかかるとそのままずるずると重力に従い沈んでいく体を止める術など今の私にある筈がなかった
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額に何か冷たいものが当たり私の意識がふ、と浮上する、最初に目に入ったのは緑、次に金、赤・・・目の前に居るのが誰なのか認識して私はがばりと起き上がりその場から飛び退く
「こんな所で昼寝だなんて変わった趣味だなキク」
「くっ・・・!」
私は思いっきり眉を寄せ歯噛みした、折角逃走出来たのに意識を失い挙句の果てにこの男に見つかってしまうとは、だが場所は倒れていた時の路地裏から動いてはいない、恐らくこの男は今私を見つけたばかりなのだろう、肩の激痛はもう無いが体は少しだるいでもこんなもの治癒魔法で何とかなる、それよりも速くこの男から逃れないと
「おっと、させるかよ」
逃げようとした私の足元に緑の粒子が浮かぶ、しまった、と思った時にはもう既に遅く私はまた城の中にある彼の自室へと転送させられていた、そうだこの男は呪文を詠唱する事無しに転移魔法が使えるのだった、魔法を発動させる為の第一条件としてその呪文を正確に詠唱する必要があるが卓越した者なら詠唱なしに魔法を発動する事が出来る、だがそれは少なくとも少年が老いるまで同じ魔法を何回も使い続け体にその魔法を発動させる条件、詠唱呪文の刷り込み、魔力の調節等、様々な事象を覚え込ませておかねばそのような芸当をする事は出来ない、それには時間が掛かるが稀に時間を飛び越えその境地に辿り着く者も居る、才能、その一言で片づけてしまうにはあまりにも理不尽な神の采配、だがそれは事実で目の前の彼は若くして詠唱無しに魔法を発動させている、特に高度だと言われる転移魔法で人を瞬間移動させる事を易々とやってのけるのだ、力量は相当なものだろう
「残念だったな」
王族に生まれ何不自由ない暮らしをして魔術に関する才能おまけに美貌まで与えるとは、天は二物を与えないという言葉は幻想だったのだろうか
「お前は俺から逃れる事なんて出来ねえよ、一生な」
でもだから何だというんだ、王族が何だ、才能が何だ、私には私の貫かねばならぬ信念がある、それを邪魔するのだというのなら誰であろうと許しはしない、許してはいけない、強大な権力に刃向かう事がどういう事なのか分からない齢では無い、それでも私は何としてもあの人達を救いたいその為なら例え王であっても刃を向ける事をもう厭わない
「ふ、ふふ・・・はははは!!」
一頻り笑い終わった後、私は転移魔法を呟き右手に刀を出現させる、この刀には今まで何度も救われた、それが今回も私をこの状況から救ってくれる事を信じよう、覚悟を決めると私はその切っ先を相手に付き付け嗤う
「やれるものならやってみれば良い」
「王族に刃を向けるか、それがどういう意味か勿論分かってんだよなあキク」
「例え一国を敵に回そうと私はやらねばならない事がある、それを邪魔する者は誰であろうと容赦はしない、ただ・・・」
語気を弱め菊は刃を一旦下ろす、その瞳には僅かばかりの相手に対する憂慮が見られた
「穏便に済ませられるのなら、そうしたい、私だって無闇に誰かを傷付ける事はしたくない、避けられる争いにも関わらず争わない努力をせず後悔するのはもうたくさんですから、王族の道楽に巻き込まれた事は水に流します、私には時間が無い、どうか私を、解放して貰えませんか?」
私がそう言った途端彼の嘲笑はなりを潜め神妙な面持ちになる、思えば何故私は最初からこうしなかったのだろう、無理矢理契約を結ばされた印象が強すぎて根本的なものを見過ごしていた、先入観だけで相手を見ずにもっと話をしてみるべきだった、もしかするとそうしていればもっと早く事が運んだかもしれないというのに
「分かった、そこまで言うなら、お前を解放しよう・・・・・・悪かったな」
彼は決まり悪そうにそう言うと私に歩み寄る、予想外な程スムーズな成り行きに正直驚いたが彼からは害意を感じない、私はぼそりと呟き刀をまた元の場所へと戻すと彼に向き直る
「私の方こそ散々失礼な態度を、許して下さいますか?」
「そんなもの、俺だってお前の意思を無視して契約を結んだ、それでお相子だろ」
私はどうやら随分と彼に偏見を持って接していたらしい、たった2日会って話しただけだというのに私は何を分かった気になっていたのだろう、今更だが自分のした事を恥ずかしく思う、良い齢をして情けない
「契約の刻印を消す、肩を出してくれないか?」
言われた通り服をずり下げ肩の刻印を見せると彼の眉間に皺が寄る
「随分、薄くなってるな」
「あの・・・?」
何度も確かめるように刻印をなぞる指先に違和感を持ち私はそう問いかけると彼はにこり、と私に笑いかける、嘲りの色が入っていない綺麗な笑みにも関わらずそれを見た途端ぞくりとしたものが背筋を走る
「お前って、お人良しだよな」
「ぐっ・・・!」
完全に無防備だった時に容赦なく腹を膝で蹴られ私は思わずその場に跪く、その隙に肩を蹴られてバランスを崩した私は床に倒れ込む、コツリ、と男はブーツを鳴らしてその固い底を押しつけるように頭を踏みつけ先程とは打って変わって氷の様な視線で私を射抜く
「貴、様・・・!!」
「悪く言えば甘いな、だからチャンスを掴み損ねてこんな事になる」
「さっきまでのは、虚言か」
「二枚舌を使うのは得意でな、まさか本当に騙されてくれるとは思わなかったが・・・何でもやってみるもんだな」
ググ、と足に力を込められ頭蓋骨が軋みそうに痛む、少し前の自分を殴ってやりたい衝動に駆られながら私はこのままでは碌に抵抗出来ない為再び刀を転移魔法で呼び寄せようとするがそれに気付いた男に再び蹴られて壁に強かに体を打ち付ける、痛みで一瞬息が詰まり詠唱は叶わない、そのまま壁伝いにずるずると倒れ込んだ所へ男は歩み寄り目の前でしゃがむと私の襟首を持ちぐい、と引き寄せる、嗜虐的な笑みを浮かべる男を睨み返せば上機嫌に声色が聞こえ私は苦い思いをしながら目線を逸らす、だがその長い指は顎を捕らえ視線を外す事を許さない、至近距離にある嫌味な程整った顔を見る事を強いられた私は思いっきり眉間に皺を寄せた
「おいたが過ぎるな、キク?物騒なもん呼び寄せないでくれよ、ああ、そう言えば・・・」
「ーーッ!!何を・・・!!」
顎を捕らえる指はそのままにもう片方の手で体のラインを確かめるように撫でられる、ぞわりと鳥肌が立ち目の前の男を突き飛ばそうとした時、顎を掴む手が下がりガッ、と首を絞められる、苦しさで抵抗出来ないのを良い事に男の手は衣服の中にまで侵入して来てするりと肌を撫でていく、男が腹から胸板にかけて手を這わせた後かさり、と音がして隠し持っていた口寄せの札が抜き取られた
「これは没収させて貰うぞ」
男は三枚の札を扇の様に持ち私に見せつけた後、懐にしまうと漸く首から手を放す、咽ながら必死で空気を取り入れる間も掴まれていた首が痛む、手加減無しで圧迫された為未だに男の手の感触が残っていて気持ちが悪い、あっという間に刀を携え相手を攻める立場から丸腰で虐げられる立場に転落してしまった、これは相当不味い、赤子でも分かりそうな程明白に不利な状況だ、だが辛うじて抵抗出来る事が一つの救いだろうか、これで男の「命」にまた従わざるを得ない状態にされてはもう私には成す術が無い、限りなく王手に近い状態、そんな状況で起死回生の手立てを持たない自分が歯痒い、私は下唇を噛み激情を押し殺す、あの時ああしていればと考えても無駄な事だ、溢れてしまった水は器には返らない、だがどんなに無駄な足掻きであろうとこの男に屈服する事だけはしたくなかった、心まで折れてしまっては相手の思うつぼだ、ドサリ、と壁から床へと放り投げるように移動させられ男が私に馬乗りになる、数日前と同じ光景だ、また見る事になるとは正直思っていなかった
「良い子にしてろよ」
するつもりは毛頭無い、お前が私を解放するつもりが無いのと同じように
私の下に浮かび上がる魔法陣、男が黒い皮手袋を外し親指を噛む所までは全く同じだ、だが前回とは違う事はその意味もこれから行われる事が何なのかも全部分かっている事だ、恐らく薄まっていた刻印を再び強く刻みつける為術を重ねがけするつもりなのだろう、そう易々とまた体の自由を奪われてたまるものか、鮮血を滴らせながらそれが口元まで運ばれる、私は男の腕を取りそれ以上進まないように力を込める、男の下から脱出しようともがけば腰を下ろす位置を変えられ足を動かせないように固定される、頑なに抵抗を止めない私をギラつく瞳で射抜いて男は腕に一気に力を込めダン、と私の腕を床に押さえ付ける、そして躊躇いもなくもう片方の手の親指を自ら傷付けると動物が自分の傷を癒す時の様にそれをぺろりと舐め血に濡れた手を私の方へ近づける、先程と同じく私はもう片方の手でそれを押さえるが上から押す方の力が自らの体重をかけるので強いその手も床に押さえ付けられるがこれでお互い両手を使えなくなったどうするつもりだと男を見れば彼はゾクリとする程の美しい笑みを湛えていた、暗い愉悦を溢れさせたその笑みに怖気立つ、どうしてこの男はこんな風に笑っているのか私は分からない、その表情に目を奪われている間に男との距離が縮まっていた事に気付くのが遅れた、男の顔はどんどん私に近づいてくる唇と唇が付きそうな距離まで近づけられ顔を逸らそうとした時逃すまいと男は私の唇を素早く奪う、その一瞬ぞわ、と体中に鳥肌が立った確かに唇が付きそうだとは思ったが本当にそうなるとは思いもしなかった、あまりの衝撃に抵抗する事を忘れた私を嘲笑うかのように男は薄く開いた私の口の隙間から舌を入れ口内を舐め回す、最悪だ、どうして同性にこんな事をされなければならない、行動の真意は分からないがこれが私に対する侮辱なのは充分に分かる、私は男を振りほどこうと顔を逸らそうとするがそれに合わせて男も角度を変えて口付けてくるので一向に振りほどけない、くち、くちゅり、と聞きたくもない水音が部屋に響いて頭がくらくらした、つつ、と男の舌が上顎をなぞった時体に嫌な痺れが走って私は体を跳ねさせる、その隙にとろりとしたものが口内に流れ込んできても私は抵抗もせず飲んでしまった、こくりと喉を鳴らした時不味いと焦るがもう遅い、私の喉が鳴るのを確認した男はそれが合図のように唇を離す、互いの唇の間に銀の糸が繋がっているのを見てとても苦々しい気分になった
「ちゃんと飲めたな、良い子だ」
「このッ!!離せ!!」
「キク、もう遅い」
男の意図に気付けないとは不覚だった、親指から流れる血を舐めたのは例え両の手が使えなくなっても私に血を飲ませる手段を残す為だったのだろう、私が同性に口付けられ動揺するのもきっと見越していた筈だ、またまんまと男の術中に嵌められてしまった、悔しさで唇を噛むのと男の詠唱が終わるのは同時だった、ぶわりと魔法陣が大きくなりそこから光が溢れる体に自分以外の膨大な魔力が注ぎ込まれる違和感、気持ち悪さ、魔法陣から光が消える時体を貫く様な痛みを肩に感じて私はまた意識を飛ばした
2011.08.30
あとがき
(それにしてもこの二人、ノリノリである)