ふ、と浮上した意識に従い私は目蓋を開ける、直後に飛び込んできた物が天蓋であってももう私は驚かない、ズキリ、と肩が痛む、これはもう確認するまでも無く例の刻印の所為であるから無視をして私は上体を起こした、あの男の嘲笑、された仕打ちを思い出し知らず知らずのうちに表情が険しくなる、まさか契約の為とはいえあそこまでするとは思わなかった目的の為なら手段を選ばない男だ、唇の感触を不意に思い出し私は思いっきりそこを手で拭った、視線をずらせばカーテンから光が漏れ出している今は朝か昼のようだ、寝室を出てまるでどこかのスイートルームのように凝った意匠が施された調度品の数々が整然と並ぶそこで私はソファへと腰を下ろした、焦った所で状況は変わらない、冷静に今後自分はどうするべきか考えあぐねていた時だった、廊下へと続く重厚な扉からコンコン、と控え目にノックする音が聞こえる、あの男ならこちらが了承をする前に勝手に扉を開けるから来訪者は他の人物なのだろう、ただ一人の例外を除いて他人の部屋を訪ねる時は部屋の主の承諾が無ければ中へ入る事が出来ない、私は来訪者に許可を出す為声を放った
「どうぞ・・・」
「失礼します、本田様」
丁寧にこちらに向かって一礼をして部屋に入って来たのは数日前城の中を案内してくれた人物だ、確か名前はハワードだと記憶している、彼は私宛に届け物を預かっていると言い一通の封筒を差し出した、中に入っていたのは人型に象られた白い紙四枚、私の居た国でよく用いられている連絡手段だ、式神に向かって声を吹き込み伝言を伝えたい相手に送る、受け取った相手が送り主が望む人物であれば術が発動し人型が声を吹き込んだ相手そっくりの姿で伝言を喋るという寸法だ、考えている内に封筒から煙が出て式神が王さん、香さん、勇洙さん、梅さんの姿になり口ぐちに喋り出した
『菊ー!!お前って奴は!また無茶したんじゃねえあるな!!怪我とかしてたら承知しないあるよ!!』
いきなりの大声に驚いたが相変わらずのその態度に笑みが零れる、だが言っている事がいまいち理解できない、どうして私に式神を使って連絡を寄こしたのだろう期限までもう日が無い負担金の三倍のお金は未だ用意出来ておらずこんな悠長に連絡を寄こしている暇など無いだろうに、最近は鬼気迫る表情で顔を顰めてばかりだった王さんの顔は何だか憑き物が落ちた様にすっきりとしている、私の無茶を叱る王さんは最初こそ眉を吊り上げていたが次の瞬間にはふ、と表情を緩めいつになく穏やかな口調で私に語りかける
『お前が負担金の不足分を全てこちらに寄越してくれたお陰であいつらが提示した額全て支払う事が出来たね、お前には本当に感謝してるある、菊』
「え!?それってどういう・・・」
声に出したが式神はあらかじめ録音された言葉しか喋る事が出来ない、私が負担金の不足分を全て寄越した?そんな筈は無い私が稼いだ分はもう送れるものは全て送っておりギルドで新たな依頼をこなさないととてもそんな事は出来ない状態だ、それに何より私は王さんに送金なんてしていない、それでも返済の全てが終わったと言う王さんの顔は晴れやかなもので思わずこちらも安堵してしまう程だった
『菊兄おひさっス、菊兄が一番兄弟の中で身を削って稼いでくれた的な、俺からこんな事いうのもなんすけどこれからはもう無茶な事しないで欲しいっス』
『菊さん!!あの・・・『あー梅!!泣いてるんだぜ『勇洙うるさいヨ!泣いてない!!』
『勇洙まじKY的な』
三人共元気な様で良かった、相変わらずの掛け合いに無意識に笑みがこぼれる
『あの菊さん!!落ち着いたらこっちに帰って来てヨ、私、踊り上手くなったからその時披露するネ!それまで体とかに気を付けて元気で過ごして下さい』
『次は俺の番なんだぜ!!今回の件で菊の事少しは認めてやっても良いんだぜ!!でも
兄弟一、兄貴を支えてたのは俺なんだぜ!!』
いつものように輝かんばかりの笑顔で言った後、勇洙さんは苦笑いした、その表情や態度は最後に会った時よりも数段大人びてみえて私は驚く
『・・・っていうのは嘘なんだぜ、今回の件で自分の出来る事よりも出来ない事の方がまだまだ多いって分かったんだぜ、でもだからこれから俺は菊に負けないように、菊を超えられるように今まで以上に全力で様々な事を学んで行こうと思う・・・菊なんてすぐ追い越してやるんだから覚悟しとくんだぜ!!もし今度何かあったとしても菊なんかに頼らず俺が全部解決してやるぜ!!』
『・・・勇洙珍しくシリアス的な?』
『やー今日は空から槍が降って来るヨー』
三人の様子を見守っていた王さんは懐から紙を出す、それは私達が散り散りになり毎日必死で資金集めに奔走する事になった元凶の契約書だ、王さんはそれを持ち詠唱を済ませるともう片方の手から炎を出しそれを燃やす
『これで我達はもう誰も身を削る必要は無いある、菊、これからは我に縛られる事なく自由に過ごすよろし、これは前々から言いたかった事ね、言える状況になったからやっと言う事が出来たある・・・お前は今西国の王宮で働いているようあるね?ハワードとか言う奴に聞いたある、くれぐれも無茶だけはダメあるよ?それから休みが出たらこっちに帰ってくるよろしまた飯でも作ってやるある、それじゃまた会う時まで元気に過ごすあるよ』
ボフン、と音を立てて皆の姿をしていた式神が元の紙に戻る、分からない事はまだあるが、一つだけ確かなのは私達はもう自分の身を、時には命を削る必要は無くなったという事だ、唐突過ぎて実感はまだ湧かない、けれど確かにあの忌々しい契約書は燃え尽き灰となったのだ、終わり、そう終わったんだ過酷を極めた日々は、体が限界を訴えても治癒魔法で治し依頼をひたすらこなして、遂には体力もつきかけて治癒魔法すら使えなくなった時も、不調で血を吐きながら魔獣の討伐依頼を達成する為無人島で一週間過ごした事もあった、ここ数カ月にあった様々な出来事が私の脳内を駆け巡る、だがそれももう過去の事、今まで私に圧し掛かっていた重圧、緊張感が一気に消え去る、こんなに穏やかな気分でいられるのはいつぶりだろう久しく感じていなかったそれに私は思わず息をついた、私の傍らに立つハワードさんはそんな私を見て微笑んでいる、そうだ王さんは彼から私がこの王宮に居る事を聞いたと言っていた、ならば王さんに負担金の残り全てを持って行ったのはハワードさんという事にはならないだろうか、どうして私達の事情を知っているのかは分からないが名前が出た本人がここに居る事だ確かめない訳にはいかない
「あの、もしかしなくともお金はハワードさんが渡して下さったのですか?」
「ええ、私ハワードが責任を持って本田様の国まで飛び王様にお渡しして来ました」
「それはどうもご迷惑をおかけしました、あの、それでそのお金は一体誰が・・・?」
「申し訳ありませんがその方から口止めされていますので」
「そう、ですか・・・」
語気を弱めた私に向かってハワードさんは悪戯っぽく笑いかける
「ですがその方は案外貴方の近くに居るかもしれませんね、例えば隣の部屋だとか」
「え・・・」
「喋り過ぎました、私はこれで失礼します」
綺麗な所作で一礼した後ハワードさんは扉の方へと歩いていく、扉から彼が外へ出てしまう前に彼は私に、王さんに私の様子を聞かれ咄嗟に城で働いていると言ってしまい申し訳ありませんでした、と律儀に謝り扉を閉じ出て行った
「隣の部屋って・・・」
思わず言葉に出してしまう程ハワードさんの言葉は衝撃的だった、けれどあんなにも柔らかい表情をした彼が嘘をつくとは正直な所思えない、私が使っているこの階層に部屋は二つしかない、隣の部屋を使っているのは私に散々無体を働いてきた男だ、彼が私達の不足分の負担金を全て用意した?確かに彼は王族なのだから使い古された言い方になるが一生遊んで暮らせるだけの金を持っているだろう、あの巨額の資金だって用意出来るに違い無い、だが彼の今までの言動を考慮すると一気に現実味が薄れてくる、あの傲岸不遜な男が私なんかの為に金を出すとは思えない、彼がどういう経緯で私達の事を知ったのか分からないがそれを聞いた所で騙される方が悪いと切り捨て終わりだろう、表情も口調も簡単に脳裏に思い描く事が出来る、王さんの話を聞いて私は本来ならば負担金を用意してくれた人を特定し次第、すぐにその人の元へ向かいお礼を言いそして用意してくれた分のお金を今はすぐに用意する事は出来ないけれどこれから先働いて全額その人へ返済すると約束をするつもりだった、
人物はもう特定されたも同然だだが未だに私は半信半疑の状態だ
「・・・本当に、貴方が私達を助けてくれたんですか?」
確かめる為に私は一歩足を踏み出した、赤い絨毯が敷かれた廊下を少し歩くと彼の部屋の扉が見える、彼の部屋の扉の両脇には天上に届きそうな程巨大な金色の獅子の彫刻が向かい合っている、荘厳な佇まいからは気高さを感じられる獅子のたてがみは一本一本に渡るまで細かく再現されていて体躯はそれが彫刻だと忘れてしまう程しなやかだ、今にも動きだしそうなといった表現はこういった彫刻にこそふさわしい、私が金で細かな装飾が施された扉の前に立つと図らずもその二頭の獅子に見降ろされる形になる、まるで彼の部屋にこれから入る人物を検分しているようだ、そのただならぬ威圧感から小心者は扉の前に立っただけで逃げ出してしまうかもしれない、さてどうしたものかと私は扉の前に立ち考える、ハワードさんがしてくれた城の話では個人が使う部屋ではその部屋の主の魔力を扉が覚え、部屋主が帰って来た時その魔力を感知し扉が自ら開く仕組みになっているらしい、中には合言葉や扉の仕掛けを解かなければ中へ入れない所もあると聞いた、この部屋の扉には別段変った仕掛けが施されている訳ではないが部屋に入りたければ先程ハワードさんが私にしたように部屋主の許可が居るのだ、彼が私に許可を出すかは果てしなく疑問に思うが行動しなければ何も変わらない、私は追い返される覚悟で彼の部屋をコンコン、と二回叩いた
私の予想を裏切り重厚なその扉は低音を立てながら質量にふさわしくゆっくりと自ら開いた、どうやら入っても構わないようだ、扉の中に入るとそこにあるのは一つ一つが美術品だと評しても何ら問題ない様な美しい調度品の数々で思わずため息が漏れる鏡のように磨かれた大理石の床を歩いていけば奥では男が大きなガラス張りの窓の傍にあるソファの背もたれに腕を回し寛いだ様子で腰掛けて居た
「お前自ら俺の部屋を訪ねてくるなんてな・・・」
私を見るなり男は神妙な面持ちになった、この男のその表情に先日騙され煮え湯を飲まされたばかりだ、そう易々と信用する事はやはり出来ない、だが先日と違い今日は本心からその表情をしているようだと何となく相手が纏う雰囲気から感じ取れた、それから男は口を閉じてしまい部屋に沈黙が訪れる、私の目線に気付いた相手は一瞬視線を合わせてきたがすぐに決まり悪そうにそれを逸らしてしまう、何だか様子が可笑しい、いつもの傲慢な態度やよく回る舌はどこへ置いて来てしまったのだろうか
「・・・一つ貴方に質問があります、その為に私はここへ来ました」
「質問?何だ言ってみろ」
「貴方があの負担金の残り全てを用意したというのは本当ですか?」
そう言った途端目の前の男の瞳が不機嫌そうに細められる
「・・・ハワードの奴が言ったのか」
問いに対する答えは得られなかったが、ハワードさんに負担金を持たせ王さんに送るように言ったのが誰なのか知るにはその言葉だけで充分だった
「いいえ、ハワードさんは一言も貴方だとは言っていません」
やはり彼がそうだったのだ、どうして、私なんか助けたって何の得も無いでしょう、それなのにどうして、膨れ上がった疑問に突き動かされて私の口が自然に動く
「何故ですか!どうして私なんかを助けたんですか!!」
「助けただと?思い上がるな理由が欲しいなら言ってやるそんなものただの俺の気紛れに過ぎない、それ以上でも以下でも無い、分かっただろ菊、だからお前がさっき言った助けたなんて言葉は見当違いも良い所だ俺にそんなつもりは微塵も無い」
言い方は相変わらずだがどこか取り繕う様な口調だ、それに彼は自分が負担金を出した事を結局否定はしなかった気紛れだろうと何だろうと負担金を出した結果私や王さん達が救われたのは紛れもない事実なのだ、意図していたか意図していないかなんて重要ではない、私は一度瞳を閉じ彼と出会ってからの事を思い出していた、第一印象を裏切って言動は最悪だった、城から逃走する時何度その綺麗な顔を憎らしく思ったか分からない、余裕が無くて刃まで向けて、騙されて、強引にも程がある手段で契約を強制させられた、そのまま突き放していれば良かったのだ、私の身の上等知らぬ存ぜぬと涼しい顔をして、騙された事を嘲笑い、刻印の力のまま弄び捨て置く事だって出来たのに彼はそれをしなかった、きっと私の事も調べたに違い無い、ああ困った、もう私はこれから先どんな仕打ちを受けようと、きっと彼を憎めない、まだ全てを許した訳では無いけれどそうなる日も近い気がする、刃まで向けた癖に金を肩代わりされてそのように心境が変わるとはなんて現金な奴だと呆れられるだろうか、けれど人を憎み続けるには原動力となる要素が絶えず必要なのだ、今も首枷を嵌められた状態なのには変わらないが以前まで感じていた息が詰まる様な焦燥感や我が身を省みる余裕を無くす程の重圧は彼の行為によって霧散した、不等な扱いを受けても有り余るほどの事を彼はしたのだ、私がどうなろうと王さん達が無事ならもうそれで良い、救われておいてその救ってくれた本人に膨大な負の感情を抱いたままで居れる人間なんて居るのだろうか、それまでの扱いと救われた事で足し算してマイナスになる程の行為を私はされていないからそのように感じれるのかもしれない、何にせよまず私は彼にしなければならない事がある、思考の海に沈むより先にしなければならない事が
「それでも結果として私が救われた事に何ら変わりはありません」
そう言えば彼は驚いたようにほんの少し目を丸くした、初めて見た素直な反応に私は目を細める
「現金な奴だと思うなら笑えば良い、それでも私は構わない、けれどこの言葉だけは言わせて下さい」
自然と柔らかくなる表情のまま私は言葉を紡ぐ
「貴方の行為に私は多大な感謝の念を抱いています」
息を吸い込み心からの言葉を貴方に送ろう
「ありがとうございました、アーサーさん」
柔らかい笑みを浮かべた菊はアーサーが初めて見た表情だった
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微笑みを浮かべた菊を見たのは初めてだった、ここ数日生活を共にしてきたがそんな表情一度だって見た事が無い、瞳は光が差し込む事によって甘い琥珀色に変化しているその目を柔らかく細め眉を少し下げ口角を上げただけ、ただそれなのにその表情から目が逸らせないまるで俺の時だけ動きを止めてしまったかのようだ、厄介だなこれは、どうしてかは分からないが何だか無性に目の前の男の体を思いきり掻き抱きたくなりその衝動を必死で押し殺す、胸が苦しい、締め付けるなんてレベルじゃなく押し潰されるようにそこが痛む、気付けば俺は菊の目の前に立ちその頬に手を伸ばし顔を近づけていた言い訳する為に菊の額に自分の額を一瞬当て、熱でもあるのか、と言えば菊はくすりと笑い礼をして部屋から去っていった、危なかった、後一歩正気に戻るのが遅ければ俺は確実にあいつに口付けていた無意識の行動に自分自身が驚愕する、頭に浸透するように菊の声が響く、自分の名前を呼ばれる事がこんなに心地よいものだとは初めて知った
「ああ、厄介だ・・・」
こんなにも自分を失っているにも関わらず俺には原因も解決策もさっぱり思いつかない、胸の奥底から湧き上がるこの感情の名前を誰か教えてくれ
王の間で甘い溜息をつくアーサーの心中は神のみが知っていた
2011.09.20
あとがき
(幼い頃から好意と縁遠い生活だったので自分の気持ちが分からないアーサー、にしてもこのアーサー乙女過ぎて笑えますね)